zombie's diary

エッセイ、物語など書いていきます

家族について

現在、3世代で暮らしている。

祖母、母、私。

まさか移住し、三人で暮らすことになるとは思ってもみなかった。

きっかけは、祖母の病気。

祖母は一人暮らしをしていたが、生活に支障を感じ、いてもたってもいられなく母を呼んだ。助けて欲しいと。

祖母は認知症だった。

脳の血管が詰まっていた為に、次第に認知症の症状が出始めた。さらに進行し、生活するのが困難になった。

そこまで気付くのに、かなりの時間が必要だった。振り返れば、あの小さな物忘れが合図を出していたのかもしれないと、今でもよく、母と話す。

一人暮らしの認知症の方は、どれぐらいいるのか、ただ、確認できていないだけだ。現実問題は相当厳しい。

祖母と母は2人で暮らしていたが、「ごはんに毒を混ぜられている」など、妄想を祖母は近所の人にこぼす様になった。

今は笑って話せるが、当時は深刻な家族の問題だった。

祖母がある日、熱を出した。中々下がらない。町医者に診てもらうが、良くならない。その間、祖母は真夜中に母を起こし、暗闇の窓を指差し、信号がピカピカ光ってる!と言った。母は友人のすすめで救急車を呼び、祖母は入院する事となる。その間も母の友人は母を支えてくれた。

祖母の入院で、私は駆けつけた。太っていた母は痩せていた。祖母は母と私の認識が出来なくなっていた。

余命を宣告された。だが、祖母は持ちこたえて、家に帰る。奇跡的な回復力で、感動したのを覚えている。母は毎日毎日、祖母の元へ通った。その間、母の食事はかぼちゃサラダとパンしか食べれなかった。他は喉を通らないと言う。糖尿病のせいもあり、母は神経がだいぶ参っていた。祖母の元へ通う最中、歩けなくなり、車椅子を病院から貸してもらった。その時は母が倒れると思った。

祖母の回復には、献身的な母の支えがあったからだと思う。

人は繋がりがなければ、弱った時になんの支えもなく、寂しく心は弱る。心が弱れば、なおさら身体も弱る。

点滴を抜いてしまったり、船が出ると支度をしたり、両手両足を拘束されたり、色んな事が、入院中に起こった。

余命を宣告され、親戚中に会いに来てもらった。その2ヶ月は毎日がハラハラドキドキの連続だった。

家に祖母が戻って、どれくらい認知が回復するかは分からなかった。私のことを看護婦さんと言ったり、母のことを自分の妹と呼んだり、かなり進行していたからだ。

しかし、家に戻り1ヶ月がすると、みるみる回復。病院での出来事が嘘の様だった。

穏やかな認知症になった祖母は、日常生活の助けは必要だが、家で生活できるレベルにまでなった。

その出来事から5年が経ち、今ではそれが、母と私の笑い話だ。

祖母は緩やかに認知症は進んでいる。

 

つづく(また綴ります)

 

 

私について

漂うように過ごしてきて、32年が経った。社会性や生活能力が欠如しているなぁと、やっと気付く。

私の人生のハッピーピークは3歳まで。後は、ミクロン単位で闇へと這い寄っている様な人生だ。

私は母のお腹の中で死にかけた。

そして、30歳にして死にかけた。

2度、死にかけた経験がある。

1度目は記憶にない。

2度目は記憶にある。

未だに死の影がつきまとってるようだ。

死ぬ為に生きるのか、生きる為に死ぬのか、私は死んだまま生きているようなものだから、ゾンビ。

と、暗〜い話がしたいんじゃない。

ゾンビがいかに、死んだところから生き始められるか、ちょっと頑張ってみたい。

外は雨だし、命が芽吹くのは絶好の濡れ日和だ。

今までの人生のように適当に漂うかもしれないけど。

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おしっこ がまん

こんにちは。

子供の頃は、よくおしっこを我慢する子でした。いきなり、なぜそげなこと言うかって?今、私はおしっこを我慢してるからです。

今も昔もさして変わらない、私のブログによければ…お付き合いよろしくお願い致します子。

ことばは自由

ことばは解放

ことばは世界

ことばは鎖

ことばは額縁

ことばはレッテル

ことばで遊ぶf:id:momooolong:20181109100506j:image